あしあとをよむ

あしあとをよんでおもいだす

ゆがみ

ある人にメール送りました。

いつもiPhone で書いてるんです。

ふと、思って送信後PCから見てみました。

あちゃーと思いました。

かたちが、重い、歪んでる…。

スマホからはいい感じに見えたのですが。

内容どうこうよりこれは思いやりのないメールですね。

重い槍みたいなメールを投げてしまいました。

ま、達人なのでさっと避けてくれるでしょうが。

こーゆうとこに自分のゆがみが現れてしまうのですね。

重いなー、漬け物石みたい。

でもその方のおかげで軽くなりつつあります。

 

スマホ気をつけよう。

自分気をつけよう。

一回寝かせてメール送ろう、と思うのにですね…。

せっかちが災いするのですね。

ま、送ってしまったものはしようがない。

ここで謝って終わりたいとおもいますm(_ _)m

もちろん読んでないと思うけど、なんか気持ち的に。

あーあでも、ごめんなさい。

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 台湾のとり、かわいかったな〜。

近づいても逃げないの。

228和平記念公園にて。

りすとか亀もいっぱいいてさー、すごい好きな公園だった。

この夏は浄化の夏。

あとね、あそぶ!

サーカスナイト

11年前、昼間は会社員で夜はバーでバーテンダーの真似事のような事をしていた。

カクテルは趣味でしか作ったことがなかった。でも人気のピアニストが演奏する店でお客さんは殆どその人目当ての為、お酒は色付け程度でメニューも少なかったから気楽だった。会社の取引先の社長が経営していて向いていそうだからやってみないかと声をかけられた。私はそれほど呑めないのだが酒場の雰囲気は好きでそこにくる素が出つつある人間を観察するのが好きだった。ソフトなジャズバーだったので(ピアニストも女性だった)客層も品のある大人が多く、そういう人たちと害のないおかしな話をするのも好きだった。

私はホテルとかバーとか人が少しだけ留まってそして去っていく場所に昔から惹かれる。そういう場で裏方に徹して思い切り夢をみてもらいたいと思っていた。さっきまで知らなかった他人と一瞬親密な時間を過ごすことができてそしてもう会わないかもしれないし、また会うかもしれない。そういう感じが好きだった。まるで旅みたいでいい、と思っていた。

その時はとにかく予定を埋めていたくて会社が終わるとすぐにバーに向かった。水商売の裏方はとんでもなく非常識なずるいやつや騙されてばかりの鈍臭いやつもいたがもちろんものすごく切れるやつも人間的にすごい人もいた。でも皆どこか人間臭くて好きだった。その中で私はみごとに中途半端にふつうのやつだった。向いているところがあるとすればある部分が徹底的に冷めているところでみんなが酒を呑んで呑まれてアツくなればなるほど心は静かに平坦になってゆくことだった。酔っ払いを割と落ち着かせる事ができる。昔から酔っ払いに囲まれていたからかも知れない。

毎日ちょっとした事件がおこった。

ケンカやトラブル、クレームと帰らない客。

おもしろいと思ってはじめたが段々と新宿という街に膿んできた。毎日繰り返される酒場の喧騒に疲れてきた。本当の意味では向いていなかったんだと思う。

結局一年で辞めたけど仕事が始まる前や終わった後にくりかえし聴いていた曲があった。向井秀徳の「自問自答」。新宿にぴったりの曲だった。知り合いはたくさんいて忙しかったけど孤独だった。

恋人もいたけれど自分と同じでとてもさみしい人だった。さみしい人間が2人、もっとさみしくなるだけだ。自分はなぜ生きているのかわからなかったし別に死んでもいいと思ってただ生きていた。私は思考や感情や直感よりも感覚がかなり優先しているタイプで、感覚というやつは常に生きる力と直結していてただ生きる方向に向いているらしい。だから自分の性質として生物として自ら死を選べないことは知っていた。

 

「サーカスナイト」という曲を聴いてあの頃の事を思い出していた。そうだよ、まるでサーカスみたいだった。

そして知った。どんなにあの日々が切なかったか。どんなに自分がギリギリの綱渡りをしていたか。

いや、今でもきっと綱渡りなんだけど、かなしいほどの衝動は消えた。尖ってなくてもっとおおきなものに包まれたいし、包みたい。大切にしたい。

いまは生きてて良かったと思う。あの時に死んでたらあの世でも自問自答し続けなければなるまい。

 


七尾旅人 "サーカスナイト" (Official Music Video)

 

魔法はいつか解ける。

解けてからが本当の勝負だろ。 

ここは楽園じゃないけど描ける限りの美しい庭を作る。花が咲いて鳥たちがうたう。

そのために今、生きている。

What is it like to be....

わたしがわたしであるとはどのような事であるか。それは他の人には知り得ないこと。逆もまた然り。

ウムヴェルトってドイツ語でum(回りの)welt(世界)つまり環境って訳されている。犬には犬の世界(嗅覚が超鋭敏な世界?)かえるにはかえるの世界(皮膚が水分に敏感に反応する世界?)マダニってダニは視覚と聴覚が無く、かわりに嗅覚と触覚と温度感覚が優れているのだそうだ。だからマダニはじっとして高い温度のものが自分の側を通り過ぎるのを待っている。偶然にも通り過ぎたら、さっとそこまで飛び(ダニだから跳躍力も優れてるってことだ)温かい血を吸う。 

コウモリであるとはどのようなことか

コウモリであるとはどのようなことか

 

この本を読んでいる。おもしろい。コウモリであるとは、わー、こんな羽根でも結構飛べるんだでも夕方しか飛べないのはなんだかなぁとか鍾乳洞の中で逆さまになるのは最初はおもしろいと思ったけど飽きるとか、なんか虫とか食べるのは辛いけど生命維持の為に食べなきゃ!とかではもちろんない。いまあげたのは人間(わたし)がコウモリになったとしたらのあくまで仮定の気持ちである。そうではなくてコウモリの脳を持った生物がどのように世界を感じているのかである。

脳って本当に一人ひとり違っている。私は幼い頃から動物が好きで、学校でも生き物係だった。動物の感覚の方がなんかわかるというか、共感するというか。普通こうでしょ、と言われるのが怖かったし悲しかった。でも普通こうでしょと言われたことを貯めてなるほどこう感じると変だと思われないのだなと社会に適応していった感もある。

父が奇人でたくさん動物を飼っていたというのもある。ヤギとかピラニアとかもちろん犬とかも。本当に父はナチュラルな変人で拾ったカラスのヒナを手懐けて親だと思い込ませて(そういうところは天才的)本当の親が怒って怒ってうちの周りをカァカァ鳴きながら呪いのように飛び続けておばあちゃんが激怒した事など。強烈な思い出が多い。

小学2年生の時おたふくかなんかでしばらく学校を休んだ時があって久しぶりに登校するとクラスで飼っていたでっかいかえるが死んでいた。しかも死んでしばらく放って置かれたらしくドロドロになっていた。夏だった。わたしは何も考えず水槽を外まで運び(誰かが手伝ってくれた気がする)かえるを素手で取り出し埋めた。そして水槽を掃除し始めた。

臭かった、でも別に嫌悪感みたいなものはなく淡々とドロドロを掃除し始めた。何人かの男子がきったねーなとはやし立てた。女子たちもえーすごおぉいといいながら遠巻きに見ていた。うっすらと悲しいと思ったが心は凪のように穏やかだった。かえる、ゆだって暑かったね、でもドロドロだけど死んだからもういいねと思った。

鈍臭いわたしをいつも助けてくれる男の子がいてその子は休みだったのかその場にいなかった。手が臭くなって服も靴下も濡れて今日はあの子がいなくて良かった、と思った。明るくて人気者であからさまに好意を示してくるタイプでわたしが失敗するといつもすぐにどこからかきてなつこのためなら〜〜♪というオリジナルソングを歌いながら処理してくれるのだった。給食係で全員分の牛乳を落とした時も。図画の時間にバケツをぶちまけた時も。いまなら抱きついてどんなに嬉しかったか、どんなに感謝してるか語りたいのだがなにしろ小学低学年まではものすごく内気で言葉がすぐに出てこなかったのだ。なにもかにもが恥ずかしかった。集団の中にいる自分がなんだか滑稽でいつも下を向いてるか窓の外を見ていた。

なんにも求めずただいつもわたしを助けてくれたあの子。笑顔がとても素敵だった。他の男子にからかわれても堂々と好きだからと言ってくれた。ありがたくてありがたくて思い出すと涙がでる。わたしもあの子の事が好きなのだ、と思ったのはみんなから好奇の目で見られてるとき、あの子がいなくてよかった、と思った時だった。

 もしかしたらわたしの記憶違いで本当はその場にいたんだけど腐ったかえるはさすがにひくわーと思われていたのかもしれないけど。

たとえ記憶違いでも美しい記憶のほうをとっておこう。人は個体差が激しいという事をわかるきっかけを与えてくれた人だから、という事でなにがいいたいのかというとわたしは自分の感覚ってわりとズレているんだなぁと幼い頃に自覚し、まぁズレていても好んでくれる人、受容してくれる人、理解してくれる人、あとかなり近い感覚の人はいるみたいだというわりと肯定的な気持ちです。多かれ少なかれ皆あることだと思うのだけど。言葉で説明するのができなかった自分の頃を思い出すと自分を知る手がかりになるのかもと思い幼き頃のことを思い出してみるのです。うん。

いままで出会ってきたあの子の成分を含んだ人たち、本当にありがとう。今はこのキモチを伝えたいな。うまく伝えられないかもしれないけれど。


KIMOCHI 椎名林檎×向井秀徳

ウムヴェルト

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雨上がりの畑はかえるさんがいっぱい。

わたしを誘導してくれる。

梅雨もいい。

雨のシャワーは特別好き。

まわりの山がとても近くにみえる時、もうすぐ雨が降る。霧がかかって見えない時も降るんだけど降り方がちがう。

雨が降っていても山が遠くにくっきり見える時はすぐやむの。

雷が鳴りはじめるとわくわくする質、よ。

 

生態系は常に変化している。

たまにはかえるになってみたい。あの手足いい。ぺたっぺたっ。薔薇の中でひとやすみ。くつろぎが似合う生き物なんだから。

わたしといっしょ。コロコロ。ぺたん。

大空で抱きしめて

宇多田ヒカルの新曲が良すぎてずっと聴いている。

涙は流れないし、溢れない。

でも体の中が透明な涙でいっぱいになる。

そんな曲。

この人って歌詞とメロディの組み合わせが絶妙で、琴線に触れまくるっていうか。

この人の曲聴くとあぁ…わたし日本人なのね…と再確認する、なんか。爽やかなんだけど情念を感じるし。いい。

今回面白い試みが特設サイトに。

http://www.utadahikaru.jp/lyrics/01/

この曲の歌詞ワンフレーズ好きな部分を選んでサイトに投稿するのです。私も思わずしてしまった。そうするとリアルタイムでみんなのツイートが可視化されるの。楽しい。なるほどなるほどと思ったり。この歌詞、好き。heart stationとstay gold くらい好きだわ。

FBは開店休業状態だけど最近ツイッターを再開。私はこっちの方がいろいろと気楽みたい。情報の流れ方が好み。なんかいろいろと変わってきてるね、うん。いいんじゃないかな。

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田んぼの中に蓮の花が咲いてたの。

蓮のイメージの友達を思い出した。

思い出の中のエドを呼ぶ。

ことば、というものについて思いをめぐらせていて

一番最初に意味のあると思われることばを発したのはなんの言葉だったのだろう、と思った。そういえば昔母に聞いた事がある。わたしの場合は犬の名前だったと聞いた。近所の犬。ママでもマンマでもましてやパパでもなく。

うっすらと記憶がある。大きな白い身体、黒くてやさしい瞳。わたしがエド、と呼ぶとゆっくりと近づいてくる。柔らかい毛、温かい息遣い、香ばしいような匂い。たまにわたしのよだれを舐める。雑菌とかにうるさくない時代で、家で本当によかった。

私は長女で父方、母方の祖父母にとってもはじめての孫という事で大変可愛がられた記憶がある。しかもその時叔母や曽祖母も一緒に暮らしておりみんなで私の取り合いというか愛情は与えられて当たり前という環境だったようだ。近所の人や親戚も毎日のようにわたしを見に来た。もちろんみんなの愛は心地よい。ただ子供ながらにその視線に疲れてしまうことがあったのだと思う。

エドは違った。期待も要求もそして視線もなくただいつもゆったりとわたしといた。エドが吠えたりしたのを聞いたことはない。老犬特有のいや、とても賢い生物特有の落ち着きがあった。

いつも縁側で待っていると時間になると来て、時間になると帰ってしまうエドが恋しくてエドエドとよだれをたらしながら呼んでいたらしい。

それが一番最初に言った言葉だよ、と母が言っていた。

白い白い大きなかたまり、エド

やさしいその目はどこをみていたのだろう。

毎日近所の赤ちゃんに何を教えにきたの。

いつものようにエドは来ていた。

次の年、弟が産まれて私はその可愛さに夢中になった。始終そばにいてずっと顔を見ていた。誰もいない時にビスケットを口に入れたら食べたのがうれしくてどんどん入れていたら激しく泣き出した。喉につまらせて吐き出した。慌てて祖母が飛んで来て事なきを得たけれどよかれと思ってしたことが裏目に出て子ども心にたいそう傷ついた。バツがわるかった。しかし、弟は恨むでもなく怖がるでもなく、落ち着くとわたしの顔を見て面白そうに笑った。胸がきゅんとした。喜怒哀楽を激しく素直に表す小さな生き物。なんて愛おしいのだろう。そうしてだんだんと小さな守るべき生き物との接し方も学んできてその小さな生き物がわたしを姉と認識するようになってなんともいえない幸福感を感じていた。

エドはその間もずっと来ていたらしい。

わたしが縁側にいない時も。

エドが死んだと聞いた時、泣いた記憶がある。3才位だったと思う。死とゆうものもよくわからないまま。

そしていつか忘れた。

 

小学生になってスーパーで買い物をしている時、声をかけられた。

エドの飼い主のおばさんだった。

おばさんは涙ぐんでいた。わたしの手を握って

なっちゃん、久しぶりだね、大きくなったね、エドなっちゃんとお友達になれて本当によかったとおもう、と。

実際その時はエドのことはすっかり忘れていて、でもおばさんの感極まった様子にびっくりしてなんとなく、はい、わたしもです、とか言うのが精一杯だった。

 

最近、エドの事を思い出す。

ただ思い出す。

薄暗がりにぽうっと浮かぶ白く大きな光。

もう一度声を出して呼んでみる。エド

 

あんな風な高級な愛を

私が誰かにあげることができる日はくるのだろうか。

ほっこりふたたび

つみないちごつみ

いちごをつみつづける

べりーべりーべりーだんす

ちょこれーとかくめい

すんだことはしようがないね

だってねこだもの

するめいかめくれる

きまぐれぐれんたい

こんそめらぶぱんち

ちんどうちゅうでもいいじゃない

もういいじゃない ゆるしてよ

ぷりぷりぜりーのひとりたび

ぷりぷる ぷりぷる るるるるる…

あなべるあなべる るるるるる…

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むしむししますね、だってつゆだもの。またあたまのなかがひらがなでいっぱい。これ、けっこうきもちいいのです。おためしあれ。