あしあとをよむ

あしあとをよんでるがなんのためなのかな

むげんのしあわせ

90歳になる祖母と長電話した。母の命日付近に。あることがありしばらく疎遠だったのだけど。

なっちゃん、しあわせにはかぎりがないんだよ、だから自分がしあわせだと思ってる人がむげんにしあわせなんだ、と言っていた。おばあちゃんはしあわせだよ、お金もね、ぜーんぶあげちゃった、もう昔のように頑固じゃなくなったんだから、とけらけら笑っていた。

むげんにしあわせ…。

90歳になってなんかいい意味で抜けた感じ?境界線が溶けた感じ?いい意味でおばあちゃんの威厳がなくなったっていうか…ほんとに私が小さい時のおばあちゃんっていうか…。椿の精とそのお付きのものがあらわれた話をしてくれたおばあちゃん、ただ、しあわせのかたまりみたいなものをふんわりとくれた。ちょっと不思議な感じでちょっぴり涙がでた。

青森行きたいな、おばあちゃんにおじちゃんにおばちゃんに会いたい。

おかあさんのお墓におまいりもしたい。

帆立もりんごもきんきも食べたい。

神社の裏に広がる山できのこをとったり川で魚をつかまえる。間違ったきのこをとってきて笑われたり。

お宮にねっころがりたい。ヒノキの匂いを嗅ぎたい。葉っぱが風にゆれる音をきく。

ただ楽しいと思うことをする。好きなことをするんだ。


きっといつでも行けたのにもう5年は行ってない、なにをがまんしてたんだろう。

雪が溶けたら行こう。
行きたいとこに行こう。

人生はいつだって自由なんだから。

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こんな風にやわらかくあいまいで自由でいたいな。

気がついたら、ってゆうのがいいな。

 

swallowtail butterfly~あいのうた

https://youtu.be/Vz32Lrz8G7M

あしあとを読む。

"体験"と"言葉"は同じ量ずつないと

心のバランスがとれないのよ。

それよりせっかくの雪だもの…

「あしあとを読みなさい」って。

 

最近自分の中で言葉が壊れ始めている。

言葉を入れすぎたか…いや

毎日のバラや土や虫との会話が虚ろになってきたのか。

犬とはまだ通じるのだが

おまえ、ちゃんとしろと言われた気がした。

すごく頭のいい犬がいて、人の良し悪しやその時の状態を足音で見抜くのだ。そして犬好きな人間にだけ教えてくれる。

今日は、だめみたいだった。

私にはいつものように親切なのだが

私の来た方向に向かって3度吠えた。

好きな人を傷つけてしまったかもしれないと思った。

心が鉛のように重い。

 

いずれにせよ

もっと丁寧にせねばならない。

日々の生活を。

自分のあしあとを注意深く読まねばならない。

 

ぶあつい雨雲の向こうに眩しすぎる太陽

光るススキは美しい、けど。

最近こんな感じ。

 

"言葉"ではなく"行い"を見ろ。

自分自身に。

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As above so below 大地の再生

あぁ、遠かったけど本当に行ってよかったよ…。本当に会いたい人には遠くても会いに行かなきゃね。

11月の最後の土曜日、伊賀の里まで会いたかった人に会いに。
言葉では表せないたくさんのものを受け取ってまだ全然消化しきれていない。
でも自然や植物や、そして人に対する考え、りにゅーあるしました。
矢野智徳さん、スタッフのみなさん、最高にかっこいい人たちでした。こんなに楽しい草刈りがかつてあっただろうか…。

座学がほとんどかな〜なんてボケた気分で行ったら矢野さんのお話は全部で30分くらい?
それも立ったまま。後は朝から夕方まで実践作業のみ。でもそれが良かった、おかげで最高に沁みた30分でした。訥々と語られる言葉がびしばし入ってきて
でも消化出来ず、涙を堪えるのがやっと。

教わった風の草刈り、農、花仲間たちとやってみたい。いや、これだったら植物に興味ない人もできるし、興味もつかも。←実はこれが一番良いなと思ったとこ。だって自然はだれにとっても必要なものだから、みんなが関われたら、とっても楽しいし、なにより楽になる。
赤ちゃんを連れた人もいたし、子どももいたしご年配の方もいた。(子どもは元気に遊んでいてよし٩(^‿^)۶)それぞれができる形で参加していて自然な形で互いを尊重しあって本当に空気がやわらかくて溶けそうだった。

雑草が風で折れるだろうところを刈る、そうすると草がびっくりしないのでそんなに伸びない(風に倒されたんだと思うらしい)要するに人間が自然(風)を模倣した草刈りなわけだが、そうすると根も必要以上に張らないのだそうだ。(花切りや切り戻しと真逆のことです)そうすると風の道ができる、地上と地下は相似形なので、地上に風が通ると地下にも通る、地下に空気が流れると水も流れる…きれいにするためではなく風を通す為の草刈り、それが、地上と地下の環境を変えてゆく…少しずつ。これには、本当に眼から鱗だった。やりすぎないこと…。まず、様子をみて観察すること…。風の通り道は里奥へとずっと繋がっていること…。人が自然に手を入れることの意味。

人間のエゴで大地が呼吸不全をおこしていて、でもまたこんなふうに治すことができるってこと、少しずつだけど…。水脈の説明もとても科学的でそして極めて感覚的、だと思った。
人間の五感を信頼する。
言葉はあてにならないけど私自身の身体が感じたことなら信じられる。今までいろんな農体験、自然系環境イベントとか顔だしてきたけど一番気持ちが良かった。空気が研ぎ澄まされているのにとても柔らかい。指導者にもみんなにも◯◯すべきの空気がない。上から目線がない。でもアドバイスは超的確で。一番感じたのは自然への畏敬の念、人間の可能性への尊敬の念。そこにみんな頭を垂れる。だからそんな下らなすぎるマウンティングは超越してしまう。実践のみ。

もっともっとすごい話を聴いたし(説明できない)
水脈についてもまだまだわからないことだらけですが自分のペースで学んでゆきたい。

短期的な人間の利便性ではなく大地とそこに息づく動植物の循環から環境を観ている矢野さん、そしてそれを再生しようとしている。

こんな人がいるんだ…そして集まってくる人たちがいる…。言葉ではなくその佇まいが何かを雄弁に語っている。草刈りの途中山奥で風にあわせて揺れながら落ちる葉っぱがあまりにゆったりときれいで泣きそうになった。

決めました、いろんなことをあきらめない。

ゆっくり急ぐこと。

As above so below.

下にあるものは上にあるものの如し。

逆もまた然り。

 

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矢野さんインタビュー
http://watashinomori.jp/interview/image_itv_19.html

この世界の片隅に こうの史代

マンガが大好きだ。

井上雄彦の音まで聞こえてきそうなシャープで躍動感あふれる線、水木しげるの緻密すぎる点描、ほしよりこ益田ミリの語る空白、そしてこうの史代のただひたすらに柔らかい描写…。漫画っていうのはほんとうに画だなぁと思う。カイジナニワ金融道もあの画じゃなかったらきっとあそこまで面白くない(例えが悪いか…。)

この作品は、やはりすごい傑作だと思う。
伝えたいし、残したい。
画を眺めたいばかりに何度も何度も開いてしまう。ご本人のインタビューで、「戦時中でも続くだらだらとした日常を描きたかった」とあった。

反戦を声高に叫ぶわけではない。押し付けがましさは一切ない。ものすごく重いテーマを描いているのになぜこんなにもフラットでいられるのだろう。

しかしその淡々とした光みたいなものがじわじわと心の中に染み込んで、やがて生き方さえも変えてしまう、そんな力がこの作品にはある。

そして巻末の膨大な資料、施設、人々への感謝(主なもの、と書かれていた)ものすごく調べ上げているのでそれらが作品にすさまじいリアリティを与えている。はだしのゲンよりよほどリアルなのではないかと思う。この柔らかい線の中にどれほどの熱量が込められているか、考えただけでぞっとする。いくら頭がよくてもいくら感性が鋭くてもこの怨念にも似た熱量がなければ絶対にこんな作品は作れない。

この作品には作者がいるようでいない。優れた作品を作る人は皆書いたのではなく書かされた、というものなぁ、本当にすごい。そんな作品に出会える喜び。めったにないけど。

過ぎたこと、選ばんかった道、大切なものを失った時、主人公がなにを選び、どのように生きてゆくのか。市井の人々、日常のすごさが胸にせまります。

あとがきも素晴らしいです。

そう、今、生きているという事、すべては奇蹟であると思う。だから自分の周りをちいさな宝物でいっぱいにしよう。かぎりなくやさしい言葉で満たそう。完璧を目指し過ぎず、勇気と共に大胆に行動しながら。人生の時間には限りがあるのだから、やっぱり大切な人を優先して大切にしよう、愛を表わそう、そう思えるなにか…言葉では表せない決意をこの作品からもらったのだ。

只今アニメにて映画化大好評のようですが、原作素晴らしいです。漫画という媒体の可能性を体現しているような本です。

ぜひこちらも。

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この世界の片隅にこうの史代  双葉社 

大きな花束

ちょうど一年前にお花のレッスンを始めた。

楽しくて楽しくて
こんなに楽しいことがこの世にまだあったのだなと思った。
そのうち先生の仕事もお手伝いするようになった。毎日一緒にいた。
毎日すごく楽しくなった半年後
夫の転勤で愛知に引っ越すことになった。
引っ越すことより
千葉のその植物ハウスに
戻れないのが、あの植物たちにあの人たちに会えないのが、悲しくて悲しくて悲しくて
先生がくれた宝物のような言葉を思い出しては丸々1ヶ月、毎日えづくまで号泣していた。

一年振りの展示会は夢のように素敵だった。
白い植物を集めた白の世界、
私は愛知から私の職場から
白い薔薇をもっていった。
みんなが切ってくれた本当に両手で抱えきれない白い薔薇たち。

先生はその薔薇を使って大きなブーケを
4つも作ってくれたの。
それを抽選で生徒さんに差しあげる事ができた。

そして

最後にチェロの演奏家の方にあげたいから、かしわぎさんが薔薇だけのブーケを作って、と。
えー、私ちゃんとブーケ作ったことないよ
でも、やってみようかな
と作ったブーケは
とってもいいよ、
薔薇がふんわりしているよ、
かしわぎさん、いまとってもいい状態なんだね、と笑ってくれた。

演奏家の人もとても喜んで下さって
ご自宅に飾った写真をくれた。(素敵なだけじゃない、お話もすごく面白くって懐の深い方でした!)

リハーサルを含め2日間間近でチェロの演奏をずっと聴き、白い植物に囲まれ、先生と夜通し話し、
私の中でなにかが変容している。

 じわじわきてる、なんだかわくわくする。

 

それにしてもチェロの音、間近で聴くと

本当に細胞が振動する、で整う。

素敵だ。

私の薔薇と先生の白い世界。
言葉では言い表せない
けど、
すべてが良かったんだなぁ、
そう思った。

帰りの電車で涙が一粒だけながれた。

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このカードの本当の意味がいま、わかったの。

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植草ひろみHP(チェロ演奏家)

http://www.u1.sokei.co.jp/Hiromi/

夜廻り猫

引っ越しに伴う大断捨離で(やっとほぼ終わり!)
もうモノは買うまいと心に決めました。
ゴミ処理センターとブックオフの往復の日々。
特に本、特にマンガなどもってのほか!と思っていましたところ、出逢ってしまいました遠藤平蔵…。

いや、一応本屋さんで1時間位悩みました。
しかしじっと見つめる平蔵に負けました…。
深谷かほるさんのイラストは存じ上げていましたが、マンガもお描きになったとは。

今は本当に買ってよかったと心から思っています…泣
こーゆう大当たりがたま〜にあるからやめられないのです…。

ひとり泣く人に、泣けない人にそっと寄り添う夜廻り猫の遠藤平蔵。

はたからみると全く恵まれているように見える人の誰にも言えない苦しみ、生きていることだけで精一杯で傷ついていることにさえ気がつかない人、辛い状況でも誇りをもって存在して涙の匂いがしない人…。生と死の匂い。ひとりひとりがこんなにも違ってそれぞれのドラマがあること。
でもこのきもち、どこかでいつか体験したような…。

ただほっこり癒される猫マンガではありません。腹の底から優しさが、そして勇気が湧いてくる本です。
今は誰の人生にも夜廻り猫はきっと本当に存在しているのだ、と確信しています涙

画力もストーリーも途中からなにか超えちゃってます、普通ではないです。あとがきマンガでついに大号泣、久々にえづきました笑
いや、泣けばいいってもんじゃないんですけどね…。この本にはなにかがあります。作者も意図しないマジックのようなものが。そしてそのような作品だけが真の意味で人を癒せる、と思うのです。いまちょっとだけ辛くて難しい本とかは…無理!という人に特におすすめです。

 

とりあえず最初から読んでみて下さい。

#夜廻り猫

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この時代に狩りをするということ。

岐阜に素敵な施設がある。
みんなの森 メディアコスモスというのだが、
そこで千松信也さんという方のトークイベントに行ってきた。
千松さんは猟師だ。
猟師という生き方は思った以上に深く自然でその行為は探偵みたいでおもしろかった。

千松さんは鉄砲による猟は行わず
伝統のわな猟(くくりわな猟)、網猟(無双網猟)を行う。

スライドを見て淡々とどのように狩りをするのか説明してくれる。
まず森の中でけもの道を探す。
私は森やその類が好きでよく行くけど植物に夢中でそういえばけもの道って見てなかった。
スライドでみるとかなりの種類のけもの道があってびっくり。
蹄の後や糞の状態からどれ位の大きさか、動きはどんな感じか予測し、罠の位置や大きさを決める。例えば糞に柿の種が混じっていたら近くの柿の樹を探しそこから樹を引っ掻いた後や泥を擦り付けた形跡でどれ位の背丈かとかどこを中心に活動してるのか、目星をつける。歩幅や癖や好みも計算して罠の場所を決める。
罠に掛かったら、猪は眉間を鹿は後頭部を棍棒で殴り失神させ、心臓や頸動脈を切り、失血死させる。ここが一番危険なところで鉄砲を使った方が安全だが千松さんは敢えて使わない。
鉄砲嫌いなんで、と笑っていたけど
後から失神させて血を抜いて死に至らしめる時まで結構な時間がありなにがしかを考える、とぼそりと言っていた。
きっと千松さんはそのなにがしかをいつも忘れずに考え続けたい人なんだと思った。

その後が更に大変で洗い場まで運び、血を抜き内蔵を抜き、洗い、解体し、よく冷やし、皮を剥ぎ、そしてやっと食肉にする。

食肉は普通の肉の他にハムやベーコン、干し肉に。脂は傷薬や、保湿クリームに。毛皮はしり当てや鞄やペットボトルのカバーに。腸はソーセージに、胆嚢は胃薬に(後ほど食べさせて貰った!苦かった…けど、好きかも。)まさに使い切る。
調理した肉たちは純粋に美味しそうだった。

とても興味深い映像だったが
ここに映るのはやはり微妙に眼を背けたくなる光景も含まれている。
罠に掛かった時の獣の眼、失神した顔、捌かれてゆく姿…。
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印象に残ったのは司会者が
この時代に時給自足とは、そして肉を食べる為にこんなに行程をふんで素晴らしいみたいなことを言った時
いや、自分自身が楽な方楽な方に流れて行ったら猟をする事になっていた、というところ。 
千松さんは動物がとても好きで人間より好きで本当に動物に向き合いたいと願い、だからこそ
一番嫌な部分を金を払う事でごまかすことが出来ず、自分で殺してそれを食べること、使い切ることですごく心が楽になったということ。

獲るのは自分や家族や友達が食べる分だけ。
金で肉を売ることは猪や鹿に失礼だということ。

終始穏やかで、カップラーメンも食べるし(たまに猪肉をのせてみるんだってw)ツイッターもされている。魚はスーパーで買ってくるそうだ。そんな風になんだか肩の力が抜けてるのもいい。
愛妻家で2人のお子さんの父でもある。
現金収入は週4日の運送業で賄っている。
自分が何者であるか、というのは何で金を得ているかではない、とも言っていた。

人間が自然をどうにかするのではなく恵みを頂いている、だから今増えすぎて害獣になりつつある鹿を行政に(人間に)言われたから余分に獲る、とかいうことは絶対にしないと言う。

自然に、その大いなる営みに畏敬の念を抱く、
人間は本当は自然の一部でその自然の連鎖の中に入りたい、猟師ならばそれが出来る、という純粋な思いが清々しかった。

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しかし、名古屋はいつまでも馴染めないが岐阜に行くと心がホッとしてすぅ〜っとするな。
こんなに良質イベントも無料で人がぎうぎうでないっていうのも最高。
山っていいな〜!長良川もいい! 
豊かだ。

千松信也さんインタビュー
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