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あしあとをよむ

植物、物語、音楽あたりが好きです。だらだらと更新中。

だしセット。

友達から出汁セットがとどく。どんこに羅臼昆布に片口鰯にあご出汁に…最強の出汁セット。美味しい海苔もついてきた。

もしかしてお味噌汁のところ読んでくれたのかなぁ。落ちてると思ったのかなぁ。だとしてもだとしなくても愛の行為だね。ほんとうにありがとう。

友達っていいなぁ〜〜しみじみ。

愛だなぁ、しみじみ。

早速出汁をとってお味噌汁(大根と油揚げ)大きいおにぎり2個(鮭としそ梅干し)ときゅうりに味噌、甘い卵焼きをお昼に作って頂いた。

本当に美味かった‼︎ それでやる気でるシンプルな頭脳。バカなことを話してバカだね〜と笑われるのは楽しい。涙が出るまで笑いあえる友達はたからもの。神さまからの贈り物。神様、ありがとう‼︎ 

明日もがんばろうと思った。

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欠落を埋める

村上さんの新刊を読み終わった後、またいろんな考えがぐるぐるとまとまらない。そんな時はこの本。

村上春樹河合隼雄に会いにいく」新潮文庫

対談って割と一回よんでふーんというのが多いのだけど、この本にはものすごく豊かなものが詰まっていると思う。これはまさにこのお二人の器のかなりの大きさといろんなことを見てきた目(いろんなことが見通せる眼)によるのだろう。相性というのもあるのだろう、互いに自身も知らなかった深い部分の本音を引き出しあっているという気がする不思議な対談だ。折にふれ何度も読んでいる本だがその度違う気づきがある。ページごとに村上さん、河合先生のメモのような後日談のような脚注(フットノート)がそれぞれのテーマごとに書かれていてそれがまた理解の助けになるのだ。(こういう仕事ぶりが本当に誠実さを感じる、できる限り伝えようとすること)

人間はある意味で皆病んでいる、欠落部分を抱えていることについての村上さんの脚注が今回すごく響いたのでメモ。

"「欠落を埋める」というのは説明を要すると思います。ひとつ確認しておきたいのは、欠落そのものは(あるいは病んでいるということは)人間存在にとって決してネガティブなものではないということです。欠落部分というのはあって当然です。ただし人が真剣に何かを表現しようと思うとき、「欠落はあって当然で、これでいいんだ」とは思わないものです。それをなんとか埋めていこうとする。その行為に結果的な客観性がある場合には、それは芸術になることもある。そういうことです。"(埋めても埋めても埋めきれるものではないということですが。)

それは武術家の光岡さんのツイートを先日友達が送ってくれてそれともリンクしてる。

"武術/武道をする意味は自分が他者に合わせられるよう勢いや闇雲さだけの無私無我にならないことにある。そこで等身大の自分を見出し、如何に私を消して行くは其処から考えると良い。自分を持ちつつも、他者に関心を示せ、周囲と合う丁度いい自分を常に内面に観出して行ける人は強靭である。しなやかに、穏やかに、張りと柔らかさある身体とブレても直ぐに立てなおせる心を持ち合わせることは多くのことに通じる。また、その様な身心は他のミスを見やぶるも許せる寛容さにも繋がってくる。"

ありのままでいい、という言葉に抵抗を覚えるのはきっとこの2つの文章の中にヒントがある。私自身はかなり欠落している部分がある人間だと思うのだけどそれを理由に諦めたくないのだ。

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がんばれよ!おまえもな!

村上春樹 「騎士団長殺し」とりあえずの感想。

村上さんの新刊「騎士団長殺し」読了。
あまりに今の自分にぴったりで恐ろしい位だったけどまぁそう思わせるのが優れた作品ってことですね。もしかして自分の為に書かれたんじゃ?って思わせること。内容に少し触れているのでネタバレが嫌な方は読まないでください。

ねじまき鳥クロニクル海辺のカフカ1Q84からの人間の暴力性について、苦しみについて、それを感じることの意味ついて。大切なものの 喪失とそれを取り戻すこと、そしてまた失うかもしれないという暗示。兄妹、夫婦、こどもについて。デタッチメントからコミットメントへ。idイド(精神エネルギーの源泉)の象徴である井戸に入ること、大切なものを取り戻す為、試練をうけてイドに入る。イドにたどり着くまで助けてくれるガーディアンたちの存在...。このシーンには本当にぐっときた。このような守護天使は誰の人生にも存在するのだろう、気がつく気がつかないだけでいつもわたしたちを護ってくれているのだ。私はそう信じる。ねじまき鳥でもこの井戸は重要なモチーフとなっていた。自分の存在さえも見えないほんとうの暗闇、暗渠。地下にある水…。精神分析学とかだといろんなことが読み取れるんだろう。でも小説って分析学じゃないからすぐにいろんな説明をしなくてもいいんだと思う。そういうすぐ役に立つか立たないかとか問いに対する迅速で明確すぎる答えとか効率化とかそういうとこからだいぶ遠くにあるからこの人の物語世界って森みたいに豊かでそしてはかりしれないんだよ。謎は謎のままでいい、きっとその人に必要なタイミングでわかる時がくる。河合隼雄先生はかつて村上さんとの対談で言った。"治るばかりが能じゃないんですよ。そうでしょう、生きることが大事なんだから。"

そしてイデアの象徴として騎士団長があらわれる、というと難解なようだが、そこはさすが村上さん、ものすごくおもしろくしてあるのです。特に騎士団長(身長60センチ)とのやりとりは絶妙におもしろい。だって「イデアとて義理人情を解さないわけはない」とか言うんだよ、義理人情?「それを教えるのはあたしの役目ではあらない」とかもうね、喋り方面白い。カフカの猫が喋ったのもかなりときめいたけど。

わくわくして読むのがやめられないのに読み終わるのが惜しい、って作品はやはりなかなかないと思う。文章なのになぜこんなに映像が浮かぶのかって位。今回の主人公は絵描きでもあるので余計に描写が細かく感じた。

今までの村上作品を彷彿とさせる魅力的な登場人物がいろいろ出てくるのだけど(メンシキさんの端正な妖しさよ!)やっぱりわたしはこの人の少女(または少女性を残した女性)の描写がとても素敵だと思う。今回はまりえという13歳の少女が出てくるのだが心の中のすごく柔らかい部分をそうっと撫でられている気分になる。実際まりえが出てくるとすごくいいきぶん。どうしてこんなことわかるんだろう?68歳のおじさん(失礼)に。少女の言葉にはできない不安を秘密をそして勇気を。

主人公と少女と2人で屋根裏に住むみみずくを見る場面があるんだけども美しくてやさしくて…胸がいっぱいになる。このシーンだけ切り取って心の中の特別な場所にしまっておこうと思う。そして必要な時に解凍してゆっくりと反芻するのだ、たとえば眠れない夜などに。

世界は暴力に満ちていると感じることもあるけどこんなに美しい瞬間があるならばきっと生きてゆく価値はあるんだろう。

ねじまき鳥もそうだし、カフカのカラスと呼ばれる少年のパートもそうだし村上さんの作品にもたくさんの鳥が鍵としてでてくる。暴力性の認識、深いコミットメント、壁抜け、イド、鳥たち、もう少し考えてみよう。わたしはみみずくになりたいよ。

この小説によって私の一部分が癒されたのを感じる。いつもこの人の小説はそうだ、だからいつも戻ってきてしまう。

もう一度読んでみたいと思う。きっとまた違って感じられる。f:id:natsumomox:20170309182059p:imageみみずくのふりをする別の生き物には注意‼︎

 

お味噌汁の具について

自分は食いしん坊だなぁと思う。食べ物にすごく興味がある。

あと、食べものが薬だと思っている節があって不調だとなんでも食べもので治そうとしてる、この断食、不食ブームの時に!我ながら遅れてる!でもグリーンスムージーとかね、健康を意識したものは特に興味ないかも。(だって味、想像できるしなんか実務的すぎて嫌なんだよね。グリーンスムージーさんって名前もなんか若いスポーツインストラクターみたいだし。要は青汁でしょ?)

昔ばななさんのエッセイでちょっとうろ覚えなんだけど布団から起き上がれない位に心や身体が弱っている時、エネルギー不足の時とにかく横たわりながらでよいのでお味噌汁の具の組み合わせを延々と考えるのがよいっていうのを読んだ。出来ればだしの段階から組み合わせを考える。本当にその時の自分にぴったりしたものを考え続けるのがポイント。そこは妥協してはいけない。

そしてそのまま寝ちゃってもいいんだけど、作る行程や味を想像しながら寝る。そして食べた時の味をできる限り詳細に想像する。そして起きたらそれを実際に作って食べてみる。(絶対に作りたくなるから)

そうすると、元気になるんだって!という一見いろいろツッコミと疑問が湧くエッセイ。ばななさんの海外に住む友達が教えてくれたのだそうだ。

でもすごく惹かれてやってみた結果

これねぇ、すごい効きます。

たぶん10代の頃読んだのだけどいまだにやってる。

お味噌汁一杯っていうのがやっぱりいいみたい。簡単だけど奥深いでしょ。凝ろうと思ったらだしの段階からいくらでも凝れるし、顆粒だしとかでも味噌が美味しかったら美味いし。

私はねぇ、じゃがいもとネギと油揚げ、ナスと油揚げと茗荷もいいね、しじみで赤だしも最高、 なめこ大根おろしにちょっと生姜を入れてみたり、お豆腐とわかめの味噌汁に刻みネギをたくさん入れてもいい。ほうれん草とお豆腐と油揚げに卵を溶いたのも優しいね。

一杯のみおわるころには身体とこころがふんわりと緩んでなんかすごく良いんです。お味噌汁嫌いな人っているのかな、そういう人はスープでもいいと思う。でもねぇ、やっぱりお味噌汁っていうのがミソな気がする。滋養です。おためしあれ。

 f:id:natsumomox:20170311200813p:image

ま、たまにはいいんじゃないっすかねー。

低空飛行の飛び方

低空飛行になる時は自分ではっきりとわかる。

鏡に映る自分を見るとなんだか分厚くみえる。

実際分厚いのではなくて、あくまでイメージとして。

まず瞳が分厚くなる。それからそれが顔に広がってきて首、鎖骨、腕、胸と全身に広がる。

まるで見えないヴェールをかむったように。ヴェールが徐々に広がっていくのを防ぐ手立てはない。いやぷよぷよした透明なゼリーといった方が近いかな。

かむっている間は外のことにあまり関心がわかないし、気がつけなくなる。だいたい2ヶ月から数ヶ月。何年かに一度。普通に仕事したり生活しているので自分しか気がつかない。今までの勘で受け答えしたりして。鬱とはちょっと違う、鬱の手前?ただ あぁ、分厚くなってきた、と自分が気がつく。

 

若い時はそれがとても辛かったのだが、そしてそれを早く抜けようと対抗して空回りしていた気がする。

しかし歳をとるにつれ、このヴェールをかむっている間の過ごし方がわかるようになってきた。

そして今回は後半かなり上手に過ごせたと思う。

 

それは意識して習慣の質をあげること。

例えば歯を磨くことに。

いつもしていることがとたんに面倒くさくなるからざっとやってしまいがち。そういうほころびがすべてを崩してしまうこともある。

いつもより丁寧に。ちょっとだけお金をかけてもよいことにする。

例えば電動歯ハブラシ 音波式を買うってのはどう。

少ない労力ですごくよく磨けてつるつるになる、それをきっかけに紅茶を丁寧にいれてみようと思う。暖かい美味しいものを胃に入れるだけで朝はほっとする。後は買ってきたものでいい。ただ一杯の飲み物でも自分が手をかけたものを身体に入れると1日自分を護ってくれる。丁寧にいれたものは尚更。

全然気負わずにひとつだけちょっとだけ片付けてみようと思う。小さなひとつのコーナーだけぴかぴかにする。

朝ごはんも省きがちになるので休日だけカラフルで美味しい朝ごはんプレートを作る。ゆっくりでいい。(あ、でも1つ1つの作業は手早く。でないと美味しくならないと思う)ご飯を作るのは比較的得意で早いタイプなのだが、この時ばかりはゆっくりやる。それをゆっくり食べる。しばらくするといろんなバリエーションが浮かんできて作ること自体が楽しみになってくる。そうしたらこっちのもの。楽しんで作ったものは護る力がとても強い。そうやって少しづつまもる力をためておくと平日も結構いいやつが作れるようになってくる。得意な事は丁寧に。苦手なことは無理はせず、適当に頼めるところは人に頼む。1日さぼってしまっても大丈夫、次の日から始める。できるだけ身体を使うこと(伸ばすこと)を心がける。顔を洗って拭くときはとってもやさしくする。鏡の中の自分を注意深くみる。だんだんと薄くなっている。ヴェールが剥がれるころになると今までより一段生活が整っているのを感じることができる。それは少なからず自分の気持ちも整えてくれる効果がある。そしてきもちが整う、というのは地味だが確実な魔法だと知るのだ。あともう少し。

 

このヴェールはもしかしてBlessing in disguiseなのかもしれない。

"Blessing in disguise。

偽装した祝福。かたちを変えた祝福一見不幸そうに見えて実は喜ばしいもの、という言い回しだよ。"

村上春樹 「騎士団長殺し」より。

嫌だなって思う事の半分がBlessing in disguiseだとしたらちょっと考えがかわるかも。村上さんの新刊を週末に読める幸せ。あともう少し。もちろん呪文は忘れていない。

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オザケン

ほんとに気分が落ちていて低空飛行だった。  まぁそういう時でも全くそう見えないので心配されたことがないのが良いところでもあり悪いところでもあるような。

一回性という言葉がやたら頭に浮かんできて  追い詰められてる気分だった。しかも非情なまでの一回性とか我ながらよくこんな韓国ドラマみたいなフレーズ浮かんでくるよな、どんだけドラマティック・レインなんだか(でもいい曲ですよね、大好き)いま思うとちょっと笑える。

そんな夜

見てる?
http://natalie.mu/music/pp/kenjiozawa

と、友達からラインが届いた。

ええぇ!びっくり‼︎

 

オザケンさいこう、ともだちさいこう。おかげでライブで見れた。小沢健二が入力中…。

次の日、朝日新聞を朝買って仕事終わってからCD買った。シングルCDを買うっていつぶりだろう。数日友と興奮チャットを続けた。

 

しかも「流動体について」の旋律が…   どう考えても若返るしかないだろうという…もうさいこう。やりすぎかもしれんがいい。この弾けっぷり、ただただうれしい。

 

陰極まれば陽に転ずという言葉があるけど あれってやっぱり真実かも。というかそれが自然なこと。

 

だって一回性の後の並行世界だもの!

すごーく心が軽くなった。

 

 "今の世界が絶対だと思うと苦しくなるとき、並行世界を考えると、今の世界も可能性のひとつにすぎなくて、視野狭窄に陥ってただけだと、他の幾多の可能性たちが教えてくれる。"

 

ってどなたかのツイートがあってほんとにそうねって。

 

あはは、そしたらもっと楽に動ける、

そして行動がすべてをかえてゆくのだから。

音楽って素敵、旋律って魔法。

ほんとにあの裏返ったオザケンの声聴いたら

自分の心がどんなにかたくなだったかを知ったのだ。

 

ありがとう、オザケン、ありがとう友よ。

 オザケンだって一回性を堪能してた時期もあったんだよね。きっと一回性と並行世界どちらも真実なんだろう。一回性の歌に聴こえるけど両方の世界が入っている曲。↓

「美しさ」(さよならなんて言えないよ JAZZアレンジ)切なくてやさしくて美しい。

https://youtu.be/J3TX7KEfalM

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タイミング

考えすぎるとなにが最適なのか
なにが効率的なのかそんな事ばかり考えてしまう。
そうではなくて

なぜ気になるのか、を思う。

その人のなにかとわたしのなにかが少しだけ共鳴しているから私が揺さぶられてしまう。

 

そういうノイズみたいな共鳴音にじっと耳を澄ますことを忘れないようにしよう。

いつも耳をすます。

かすかな音を聞き取るようにみみをすます。

そうやって集中していれば欲望って案外と静かになるものなのだ。

純粋な欲望は聴いてあげる。

 

わたしたちは非情なまでの一回性を生きている。だからタイミングを逃さないように。

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まだ大丈夫。希望的観測。