あしあとをよむ

あしあとをよんでるがなんのためなのかな

好きから愛するへ−月と6ペンス

対談を聴きに行ってきた。福岡伸一さん×内田樹さん。2007年のベストセラー「生物と無生物のあいだ」に今頃はまりそのタイミングでちょうど福岡伸一の知恵の学校が始まることを知り入学してみた。毎月いろいろな分野の方と福岡さんとの対談が聴けるのだ。これは楽しみ。

今回は内容もさることながらおふたりの発するものが半端なくキラキラしてて、みずみずしくて、その金色のシャワーを浴びて全身あったかいし、清々しい。
いい先生ってそうなんだ。
どうにかして伝えようってのが全身から溢れていて会うだけで、幸せになる。
その生きる姿勢から、眼差しから勝手にこっちが学ぼうと思う。

自分が拡がっていく感覚。身体が面白い、と言っている。学生の時にこんな先生たちに出会っていれば、もう少しまじめに学校行ってたかなと考えたけど、今学ぶっていうのもありだ。全然あり。

この企画が良いのは事前に課題図書があって(今回は内田樹さんの『困難な成熟』)それを読んで一番著者が言いたいことを探す、というところ。何回か読み込むし、考えるし。それで対談を聴くから普通に聴くよりは何倍もお得感がある。ほくほく。とても面白い本だった。そして著者自身からその本についてのポイントや著者を形造った読書遍歴をお聞きできるのです!嗚呼、贅沢。

ググったり、ウィキったり、今は、なんでも何々とは?が簡単に解るようになっている。
福岡さんはよくメディアにもお出になるのだが、とにかくわかりやすく話してくれと言われるのだそうだ。つまり何々「とは〜」という感じで説明してくれと。業界の彼らはそれらを「とはもの」というらしい。
現代のメディアに「とはもの」は必須でふと見渡してみると世界は「とはもの」で満ちている。
危険なのは「とは」で語りだすと難しいことをわかりやすく、ではなくただ単純化して話しているに過ぎなくなってしまうこと。
それで聞いているほうもわかったと勘違いしてしまうこと。
無駄なものを省きすぎて意味が痩せていってしまう。つまり、伝えたかった本質の豊かさはまったく届かなくなってしまう。 

書物はインターネットとは違い、著者の思考が時間の経過の中で熟成されたものが書かれており、時間が本の中には流れている。以前は、書を捨てて外に出よう、と言われていたが現代人はそもそも捨てる本を持っていない。知の復権をとの福岡先生の思いから、本読みのプロの学校を作ることになったのだとか。

本の話をたくさん聞いて思い出した人がいる。
10代の頃、大好きな先輩がいた。
彼女は私におすすめの本や音楽をいつも貸してくれてそれについて語りあうのがとても幸せな時間だった。2人とも、好きな本や音楽は何度もリピートするタイプで、一緒に旅した時はずーっと同じ曲ばっかりかけていた。

彼女がクリスマスにくれたカードに、

大人になっていつか離れてしまっても
私とあなたは"読み終えた大好きな本"みたいにずっと繋がっていると思います。

と書いてあった。

そんな貴重な人にその後、いろいろとあって本当に2度と会えなくなってしまったんだけど…。この言葉はいつも私を暖めてくれる。
時間と空間を超えて静かに人と人とは繋がれる。その作者とも、読者とも。

この知恵の学校、キャッチコピーが「ただの本好きからブックマイスターへ。」ってやつなんだけど、好きから愛するへってことなのかしら。きっと。
愛するのはちょっと時間と覚悟がいるわね。

よい本を読む時間、考える時間、ページをめくる感覚、本の重み、匂い、そこでの空間、まつわる思い出、とてつもなく地味なアイテムなんだけど、きっとこれからも紙の本は無くならないと思う。

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彼女のクリスマスカードと共に贈られた本。

月(理想と夢)と 6ペンス(現実)の狭間で人間はどう生きるべきなのか、40歳を超え安定した暮らしを全て捨て憑かれたようにタヒチに向かいそこで生涯を終えた画家ゴーギャンをモデルに書いた小説。人間にとって芸術とは、人生とは、そして幸せとはなにか深く考えさせられる傑作。彼女を偲んでもう一度読んでみる。

福岡伸一の知恵の学校