あしあとをよむ

植物、物語、音楽あたりが好きです。だらだらと更新中。

ムーンライト

世間での評価には関係なくこれは自分の為に、と思い込める作品にたまに出会う。そういう時はとても幸運。魔法がかかる。まさにこの映画はそうだった。予告編で見た時からとても惹かれた。アカデミー賞では作品賞を受賞時、前代未聞の言い間違え事件もあった。「ラ・ラ・ランド」もとてもいい映画だった。なんというのかな心の中に階層があって「ラ・ラ・ランド」は真ん中くらいのところがぱぁぁぁっと反応する、このムーンライトは1番下が微かに光る、でもその微かな光はとても大切に思えて…、そんな感じ。もちろん私にとってはという事。でも観てほしいな。

「ムーンライトMoonligh」は「In Moonlight Black Boys Look Blue」(月の明かりの下で美しいブルーに輝く)という戯曲を元に映画化された。

空と海と夜の不思議に美しいブルーのグラデーション、叙情あふれる音楽、決して言葉が豊かでも多くもないけどなぜか心を揺さぶる台詞。観たことがない感じだな、と思った。風景は夢の中のように煌めき、そして主役の黒人たちの身体の美しさが輝く。まるでブロンズ像のように光を放つ。なんと美しい人種がなんと美しい街に暮らしているのだろうと、何度も溜息がでた。重めのストーリーとは別に。

と、後から特殊な技術を使っていると知った。黒人の肌に”ブルー”を入れて加工しているのだと。戯曲の題名から思いついたのだろうか、この映画の中にもでてくる印象的な台詞なのだが、だとしたらとても有効に働いている。まるで決してマジックとわからないマジックのように。

若い頃美容師の友達に髪の毛に青色を入れられた時があったけれど(いろいろ実験台にさせられた)元々黒いのに本当に漆黒という感じになったのを思いだした。普通に見えるけどちょっと目を引く、みたいな。カラスみたいな黒さだとよく言われた。目の色も黒すぎて青いよと言われた事がある。黒はブルーを足すと深い闇になるのか、あるいは黒を縁取る光になるのか、それは謎だ。

風景は色を抜いて直接プロジェクターの光が観客に当たるようにしてあるのだそうだ。だから全てのシーンがきらきらと木漏れ日のように見える。カラリストと撮影監督が緻密に計算してそのような映像にしたそうで、そのアイディアと技術だけでも本当にオリジナルで革新的だ。シリアスなエピソードととシンプルに削ぎ落としたいわゆる盛り上がりに欠ける脚本により日本では受けないかもしれない、でもこの映像技術はいろいろなところで取り入れられるだろう。

 

ムーンライト、月の光は闇に隠れた本当の自分を映し出す。月の明かりに照らされておまえは美しくブルーに輝く…。

 

なぜだろう、この映画に出てくる主人公とは見た目は全然違うのに自分ととても近くに感じる。

貧困で黒人で、麻薬中毒の母に育てられてセクシャルマイノリティで。そしてあくまでもどこまでもプライベートなのだ。ひとつも同じところがない。なのにまるで自分のことのように感じるのはなぜなんだろう。 LGBTの映画でもあるがそんなことは小さなこと、誰もが人生の中で抱えたことがあるであろうどうしようもなさ、痛み、後悔、でもそれを忘れるくらいの美しく切なくひたすらに優しい思い出に守られる感じ。

主人公のおずおずと他者に近づこうとする距離感にこんなにも心が捉えられるのはなぜ。いや、この映画は本当に普遍的で根源的なテーマを投げかけているのだ、それは

一体お前は誰だ?

という事。

私が誰かというのは他者との関係性で変わる。

"私たちの体には音を出す器官や表情を見て取る機能があらかじめそなわっている。

生まれた瞬間から誰かに世話をしてもらわないと死んでしまうし誰かの体にさしこんだり誰かの体の一部を容れたりする部分がついている。名前だって自分ではつけない。関係性を意味する苗字と、自分以外の誰かにつけてもらった名前で自分を表現する。

こんなにもわたしたちは自分という個体で完結しない。あくまで他者という存在に出会うことを決定的な前提として生まれている。"

石井ゆかりさんのブログ「NP日記」より 

 だからこそわかりあえる他者に出逢えた時が奇跡なのだ。

そして心が繋がっていたと思っていた他者と分断されたという痛み、鉛のような重さ。傷つけられた、傷つけてしまった…その時の自分が本当に無価値になったように感じる虚しさと孤独。全員にわかってもらえなくてもちろんいい、ただその人にだけ分かってもらえれば良かったのだ。完璧な答えなど求めてはいない、完璧な人間がいないように。ただ繋がりを取り戻したい、と心のどこかで切実に求める主人公シャロンの気持ちが痛い位突き刺さった。あの人が心にいないと空洞なのだ。自分が自分でないくらいにいつも寂しい。

幼少期、少年期、青年期の3人のシャロン、違う人が演じているのに寂しそうにうつむく仕草や目線が少年の頃からずっと同じ。同じ瞳が私をじっと見つめている。心に残る作品は例外なく私が作品をみているのではなく、作品が私を見つめているのだ。

おまえは一体だれなんだ?

 と。そして本当に求めているものは何?という事。

私は子どもの時からずっと大丈夫な人だった。ぼんやりしてるけどお姉ちゃんだったし、落ち込んだりはするけれど大変な時こそ決して自分を見失わない(見失えない)から。大丈夫、という言葉は好きだ。だってそう言うとみんなとても安心した顔をするから。ひとりの時も大丈夫、大丈夫と言っているうちに本当に大丈夫になる気がした。今はとても苦しい。だから、全然大丈夫じゃないからこどもの時のように膝を抱えて泣くのだ。シャロンのように泣き過ぎて自分が水滴になってしまいそうな位に。でも泣ける事はとても幸せで胸は痛いけど涙は温かい。もう平気なふりはしない、自分を大切にするの。そして自分を大切にする為にほんのすこしだけ勇気を出す。そのほんのすこしの勇気がでる映画なのだ。

水滴くらいの勇気。

でもその水滴は波紋を拡げ、望む結果でもそうでなくてもきっと海の中を変えてゆく。

 幼年期のシャロン父親的な存在だった麻薬ディーラーのフワンは家でも居場所がなく学校でも虐められて自尊心を失いかけていたシャロンに言う。

自分の道は決して誰かに決めさせてはいけない、お前自身が決めることだ。

自分が誰かということは他者との関係がとても重要だ。だがやっぱり最後は自分自身が決める。その後シャロンはおそらく生まれて初めて海に入り泳ぎを教えてもらうのだが、海にたゆたう快楽と味方がいるという安心感で一生忘れられないセリフになったはずだ。フアンもまたシャロン守護天使だったのだろう。

時にはひとりになることを恐れないこと。ひとりでも進んでゆくこと。それでもなお闇の中、数多の他者の中、ブルーに光る自分自身と自分にとって特別な他者に再び出逢うこと。

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この魔法のような映像と詩的な音楽、普遍的なテーマを決して作りものではない年月に紛れ込ませることによりこの作品は群を抜いて素晴らしい。

「ムーンライト」2016 アメリカ合衆国

監督 :バリー・ジェンキンス

原案:タレル・アルバン・マクレイニー

撮影監督:ジェームズ・ラクストン