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書くことについてー驚く力ー名越康文①

去年の冬、なんだか久々に穴にはまったような感覚があった。自分が鉛になるような感覚があった。厚くて重い。

休みの日はなにもやる気が起きないのでスマホで文章を書いてみた。他人に見せることを前提にした文章ならばいろいろ抑制が効きそうだし、と長らく放置していたブログに戻って来た。単純になにかを自分の中から出してみたかった。しかし久しぶりに文章を書いてみるともう、てにをはから間違っとる!とか言いたいことが書けん!とか自分の語彙力の無さや文章力にかなりのストレスは感じるのだが、あ、自分はこういう風に感じていたんだとか、ここはかなり偏っとるな〜〜とかとかメタ認知っていうんですか?割と穴を客観的に見れるようになって穴を脱出するきっかけになった。それに私はすごくいい友達がいて(少ないけど)いちいち感想をくれたりのりをくれたりしてたのでそれも続ける動機になった。いつも思うんだけど本当に友達って神様がくれた贈り物だと思う。そうとしか思えない。

学生の頃作文とか小論文とかは結構褒められた記憶がある。あとものすごい昔お付き合いしていた人に手紙を書く習性があったのだけど、別れる時に、手紙だけはまたくれよな…と言われてかなり複雑な気分だった。だから全く嫌いで苦手という訳ではないんだろうけど、自分の書くものにピンとこない。でも喋る言葉はもっとピンとこないのでまだましという程度だ。だからなんだか調子が戻ってきたし、最近楽しいことがいっぱいだし、もう書くことはいいかね〜と思っていた。一冊の本、いや、その一章を読むまでは。 

書くことは「お金の論理」へのレジスタンスー「驚く力」第8章 より 名越康文

名越康文さんというお名前は前から知っていた。はじめて知ったのは「ホムンクルス」という漫画だった(殺し屋1も読んでましたがこちらも原案だったのは今知りました)原作というか監修というか。かなり興味深い内容で一時期ハマった。しかしその後マスコミで随分拝見する機会が多く勝手なイメージでタレント的な感じがしてそれ以上特に興味をもつことはなかった。

再びこの方に興味を持つようになったのはしいたけ占いという占いをされているしいたけさん。彼の占いは今や知らない人はいない位大人気なのだが、とにかく文章がなんだかいい。絶妙なやわらかさ、というかもう本当に癒やされる「普通なんだけど普通じゃない」、という上等な技を使って書く方だ。その彼が尊敬する人として名越康文先生と書いていたこと。そしてその名越先生はあの甲野先生とかなり親交が深いこと。この2つで是非ご著書を読んでみたいと図書館に行きました。

甲野先生との対談本を先に読んだのですが、甲野先生 はどういう方かと書かれた一文でさらに興味がわいてきた。

 甲野氏を一言で評するなら (そのような暴挙を赦されるのは 、さすがに私だけかも知れない )実は憤怒の人なのではないだろうか 。人であるのに 、人の外に立つ人 、と言い直してもよい 。自らが人であるにもかかわらず 、たとえばこの星 、この国の風土 、大地の側に立たざるを得ない存在 。なぜ 、彼がそのような役回りを与えられてしまったのかは分からない 。だが彼の幼いころの思い出の最たるものが 、その過剰なはにかみであり 、それが故にまともに小学校に上がれるかさえ心配だったと 、母堂が後になって述懐されるほどのものだったという事実と 、深く関係していると思う 。つまり甲野少年は人間たちの空間よりもむしろ自然の懐のほうが 、自己の存在のありようにずっとフィットしたのだろう 。しかしその感性の特質は 、大人になってもその根幹は全く変わっていない 。であるから 、彼はいつもある意味で葛藤のなかにある 。それはとりもなおさず 、自分がいつも自然と相対峙する 〝人 〟であるにもかかわらず 、納得する料簡は絶えず自然の営みの側にあるからである 。才気は往々にして宿命の中に生ずる 。この根本的な矛盾が 、甲野善紀という稀人の汲めど尽きせぬ創造性の根幹にあると私は思う 。ー

 甲野先生に2回お会いして印象、というものが自分の中にぼんやりとあってもちろん理解できないのだけど僅かに引っかかる部分、それを驚きと共に鮮やかに目の前に差し出された気がしてやられた、と思ってしまった。

憤怒の人、そうなのだ、猟師の千松さんのお話を聞いた時も、大地の再生の矢野さんにお会いした時もあるいは五十嵐大介の漫画を読んだ時も同じ引っかかりがあった。人であるのに人の外に立つ人。その激しく純粋な怒りと悲しみが。彼らはそれを見事に昇華し、現実を生きるエネルギーに変えていた。他者に広く深く影響を与える存在になった。そして誰よりも穏やかに見えた。でも、きっともとはそうなのだ。

私はそういう方達にとても惹かれる。とても。この短い紹介文の中でなんと鋭く本質を突かれたか。だからこそあれだけ甲野先生の信頼を得られているのだと思う。この対談本はびっくりするようなことが沢山さらりと書かれています。ものすごく面白い。特に私の大嫌いなスピリチュアルの引き寄せについて、甲野先生の言葉が死ぬほど頷けた。さもしい、んですよね。そういう癖というか水路ができてしまうことが、幸福かというと別にそうではないと。それとこれとは別の問題だと。自分がもやもやしていることをこうも正確に言語化されると…ああ、2日目のおでん位沁みまくる。

薄氷の踏み方 時代に塗りこめられないために

薄氷の踏み方 時代に塗りこめられないために

 

 名越先生のご著書「驚く力」に触発されたことについて書こうと思ったのに長くなってしまった。次回書こう。お金の論理へのレジスタンス、ほんとにしびれた。