あしあとをよむ

あしあとをよんでるがなんのためなのかな

小講義Bー① 考えること。

きつねさんこと加登鉄平さんの連続講義小講義B

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3回目の受講でやっとこの講義の醍醐味がわかりはじめた気がする。きつねさんの講義はどれもかなり面白いのだが、Bだけは受け付けなかったのだ。

それはこの重過ぎるテーマ故、だったのだろうか。仏教について。

今回は宗教について、というより異化の視点で考え続けること、考え抜くことについてわずかだが考察が得られた気がする。

私は母の実家が神社、近所の親戚が真言宗の大きな寺でそこの娘達と姉妹のように育ったので幼い頃から宗教が常に身近にある環境だった。しかも私は仏教系の幼稚園に通っていたのだが、敏感な弟はそこがどうしても嫌だとキリスト教系の幼稚園に通っていたので、行事のたびに教会に一緒に行ったり今思うと日本人的と言えば日本人的な、カオスと言えばまさにカオスな幼少期だった。なので講義1回目は自分がうっすらといいかなと思っていたものに対して衝撃の展開だったので、ショックが大きかったのだ。2回目はさらに詳しく入ってきてもっと嫌悪感があった。しかも身近にあったせいで宗教の裏事情などもぼんやりと身体に記憶されていて、きっとこれは本当なのだろう…あぁ、でも絶対に信じたくないという葛藤で自家中毒を起こしていた。実は3回目も憂鬱だった。他の話が聴きたい…とさえ思っていた。

しかし、今回は違った。とても面白く聴くことができてそれに自分がびっくりした。もちろん講義の進め方がより洗練されたというのもあると思う。問題は別のところにあったのだ。

「名誉殺人ー現代インドにおける女性への暴力」を大きな軸に本当の意味で考えるということ、ということを考えた。

恐怖という言葉が1つの鍵な気がした。

「恐怖」というのは生き延びる為の根源的な感情であると思う。故に現代社会ではこの感情をベースに様々なマーケティング(もちろんオブラートに包まれている)が行われておりそれは今までの世界では成功をおさめていたと思う。

恐怖で思い浮かぶのは「アポカリプト」という映画だ。マヤ文明の衰退を描いた映画だが文明自体よりも全編、生贄になった主人公の逃走劇となっている。残酷なシーンも多くR指定されているのだが私にとって大切な映画だ。なにより心に残ったこの映画のメッセージは恐怖を自分で創造することによって恐怖に飲み込まれてしまうということ。
いくら正しい美しい魂をもっていたとしても、それを想像することによってありもしない恐怖をさらに自分で創造してそれにがっぷりと飲み込まれてしまう。

敵ではなく正に己自身に負ける。古代の話だが現代の私たちのこころにもしつこく根付くもの。主人公はそれに打ち勝ち、想像するのをやめる(というか考える暇もないくらいひどい状況が起き続ける)と、

森のフォースが彼に味方し始める。まるで奇跡や神話のように。

映画をみた当時、私は本当にひどい恐怖に支配されていた。味方はだれもいないし自分さえ信じられないと思っていた。フラフラと今はなき歌舞伎町の映画館に吸い寄せられるように入ったのだ。観終わった後、じわじわと安堵と勇気に近い感情が体から湧き上がってくる感じがした。

そして前に進むことができた。

現代インドにおける名誉殺人は一族から(輪から)外れる恐怖によって行われる。そこには思考は存在しない。またサティー(寡婦殉死)という行為もあり女性も自ら身内の男性の為に犠牲になることを厭わない。

名誉殺人は一度テレビで見たことがある。しかしその時はそれを非常に特殊な出来事(びっくりニュースとかなんとか)として取り上げておりまさか年間5千人死んでいると言う事実があるとは想像もしなかった。なぜこれを一刻も早く世界中のメディアが取り上げないのか。講師は文化侵害にあたるからだと思う、と仰っていた。人種の歴史。食人族と同じ。それが文化という美しいヴェールで覆い隠されている。

なんと世界は謎に満ちた場所だろう。

しかし日本も数十年前まで例えば祖父の時代には恐ろしい蛮行が繰り返されていたのだから、日本とて例外ではない。またいつ逆戻りするかわからない。世界は思った以上にやわらかく…よくも悪くも変化は一瞬な気がするのだ。

集団心理というものは強烈でかなり意識的に考えるということをしないとすぐにそこにのみ込まれてしまう。温かい泥の中にのみこまれるのは気持ちがいい、目は曇るが安心感の中に漂える。

環境の影響から体に染み付いた感覚を越えて意識的に考える、考え続けるということ、そして考え抜くこと。それは知識を集めることや教養を身につけることとは違う。それは犠牲になる女性やサティーをする女性の殆どが世界水準の一般教育を受けている事からもうかがわれる。オウム真理教に嵌ったのもおしなべて高学歴の若者達だった。考えるという事は知能ではなく、やはり知性なのだ。

それが虐殺系猿から進化したわたしたちの唯一の救いの道だ。たぶん。

 長くなったので次回へ続く。