あしあとをよむ

あしあとを消す

沈黙

吉本隆明の「言葉のいちばんの幹と根は沈黙で、言葉となって出たものは枝葉のようなもので、いいも悪いもその人とは関係ない」

という言葉がずっと心の底のほうにあった。最近またこの言葉が浮かんでくる。

「沈黙」から考えると人のことがよく見える。根本思想のようなものだろうか。

いや、自分自身も気がつかない「行間」とか「間」なのかな。

好きなものや嫌いなものに対して明確な理由を求められて理路整然と答えられる人はどれくらいいるのだろう。私は好きなものや人は、本当は理由などなく、ただ、たとえようもなく好きなのだ。きっとそのものがもつ「沈黙」の気配を感じている。

言葉の奥にあるものを聴く。

無数の混沌が複雑に絡み合っている現実の中で割り切ってしまえば自己満足の答えをいくらでも出せる。でも世界はひとつでは括れない。多様性こそが世界からの素晴らしい贈り物なのだから。

どんな人にも計り知れないほど深い場所があり、同時に浅い場所がある。その浅瀬にそっと触れる。静かな波紋が広がる。

波紋のかたちを注意深く観察すること。

最近ますます言いたいことが言えず書きたいことが書けない。でももしかしたらそれはいい兆候なのかもしれない、と思う。

それでも言ったり、書いたり、する。

私にとって自分を知るという事に言葉というツールは有効な気がする。沈黙を伴った言葉、を発したい…。

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林の中に大きな紫陽花の木を見つけたんだ。