あしあとをよむ

あしあとをよんでるがなんのためなのかな

和解、自分との。

君がそう認識していなくても迷惑は迷惑として存在してるんだと思います。

悲しみを伝えることって、暴力のひとつだと思います。

わざわざ人に話すことじゃなかった。

もう3時ですね。おやすみなさい。        

坂元裕二の小説 「往復書簡 初恋と不倫」を読んだ。友達が誕生日にくれた。

いいのだ、とにかくモノローグというかセリフというか。対話ってすごいなと思った。まあすべてメールか手紙なのだが、対話だよね、これは。

上のセリフはハッとした。そして 少しショックだった。わたしは大切な人たちに自分の人生の悲しみについて話してしまったから。

そうか、悲しい話って暴力かもしれないよな。その人たちは聴いてくれて深く寄り添ってくれたけど。

なのに書いてしまう。自分の為に。

11年前母が亡くなった。

母の葬儀の朝に知らない番号から「〇〇(父の名前)は最低男」とCメールが来た。怒りの後脱力したが、数年後それが事実と知ってもっと脱力する。

父にははもうひとつの家庭があった。今はまたそれとは別に私と年が変わらない女性との家庭がある。年がだいぶ離れた腹違いのきょうだいが現れて驚きすぎて笑った。男の夢だね、と言ったおっさんがいたけど、御愁傷さま、チーンと思ったね。

母が早く亡くなったのも父のせいが大きいと思う。母は神社のお嬢さんで母の父も兄も言葉少なく本当に穏やかで優しい人だった。母は器量も気立ても良かったのでいい縁談がたくさんあったらしい。

父は商売人としては成功したが、苛烈で変人で浮気者で嘘つきだった。突然の怒りの標的になるのは大体母か弟だった。私も張り飛ばされたり、殴られたりした。

父は私が中学生の時からほとんど家にいなかった。思い出は小学生まではある。

小学4年生の時、祖母から「おまえは女で嫁に行ってしまうので弟のほうが大切なんだよ」と言われてショックをうけた。思ったことをなんでも言ってしまう悪気のない人だったのだけど、成長期で自分の身体がなんとなく女になっていく気持ちの悪さと不安の中でその言葉は私をナイフみたいに切り裂いた。久しぶりにメソメソと泣いていた。

どこからか、父がきた。

どうした?と言われて泣いてつっかえながら祖母に言われたことを言った。

突然、父は私の脇のところを持ち上げた。そして幼い頃してくれたように、上にあげてくるくると回した。すごく高く上がった気がした。父は下から私の顔をみて笑った。いつもは嘘ばっかり、というか嘘とか言い訳しか言わないそして機嫌が悪いとものすごく怖い父がなんにも言わずに私をみて笑いながらくるくると回した。

すごい力だったと思う。だって私その時すごく大きくなってたから。

びっくりしたのと、おかしいのと悲しいのとうれしいので泣き笑いで涙と鼻水が止まらなかった。父の顔にぼたぼたと落ちた。

父は目をしばたたかせながら、ただだまってにこにこと私を回しつづけた。

父は全然うちに帰ってこなくなった。たまに帰って来ると母が大喜びで新米や美味しいおかずや果物で迎えたのでまるでお供え物みたいだな、と思った。ふざけて弟とお地蔵さんが来たね、と言ってた。そう、お互いにいつもふざけていて、核心をついた話はしなかった。離れると父の暴力は止んだ。昔は色々あったしちょっと変わっているけれどそれなりに仲のよい家族だと信じたかった。面白おかしく楽しくしたかった。だから精一杯ピエロを演じた。

いつもどこにいるの?年に数回しか帰ってこないけど本当に仕事なの?

都合の悪いことをきくとそらすのはなんで?

お母さん、病気なんだけど。そんで時々倒れたりキレてんだけど。多分あんたのせいが大きいと思うんだけど。

おじいちゃんも結構呆けてんだけど。アル中なんだけど。

弟、いなくなっちゃったんだけど…。

聞きたくて聞けなかったこと。向き合ってほしかったこと。

親類などから大丈夫か?と聞かれて大丈夫、と言ってた。母が膠原病からの悪性リンパ腫という血液の癌の診断を受け、結局私が仕事を辞めて、母の看病と祖父のお世話をすることになった。ものすごく出来たわたしの理想の弟は突然荒れていなくなった。それが一番びっくりしたことかな、過酷な子供時代を生き延びたもの同士一生近くにいてお互いに結婚とかしても支えあっていくんだろうなと思っていたから。

さすがにキレそうだったが無駄に我慢強い性格、私が家族の要だと勝手に思っていた。そうすれば弟も帰ってくるって。

ねぇ、お父さん、最近読んだ本でよかったのなに?映画は?そうだ、ジブリの映画では何が好き?そんなたわいもない話しか答えてくれないからそういう質問をする。

そうだな、魔女の宅急便かな。あれはいい、あれが一番好きだなって。

看病とか介護って本人が気がつかないうちに心が取り返しが難しい位疲れてくる時があるんだよね。

誰も本当にはたすけてくれねぇな、父は無理でも弟帰ってこないかな…はぁーと思った夜があって

そうだ、魔女宅もう一回観てみようって。

なんだか疲れ切ってぼんやり観ていた。

あっ、と思った。

旅立つキキにお父さんが私にしたのと全く同じくキキをくるくる回すシーンがあった。キキもキキのお父さんも2人ともとてもとても幸せそうだった。

何度も巻き戻してそのシーンだけみた。

お父さん、これ私とお父さんのことだよね、私のこときっと大切なんだよね、だからこの映画が一番、なんだよね…。たったひとつのいい思い出にすがった。

それだけで案外いけるもんで母に似た生来の我慢する性質を遺憾無く発揮してしまった。商売人の娘なのでいつでも明るく振る舞うのが習慣みたいになっているところがあったのでだれも気がつかなかった。

自分さえも。

 

言葉化できない。本当の感情はどこに行った。非常事態に冷静だ、と思っていたけれどただ単に未熟な情緒だったのだ。演じなければならない時が多すぎて現すべき本当の自分の感情を見失っていた。

この一文を見た時はあまりに言い当てられた気がして絶句してしまった。

だから「人生はドラマティックだ」と思うとき、ほとんどのそれはサバイバルによって得たコミニュケーションのパターンがもたらす葛藤を味わっているだけかもしれません。自分を突き動かす力動がわからない。つまり己が何者であるかを知ることもなく、他者を演じるドラマの中で死んでいく。

「やわらかな言葉と体のレッスン」尹 雄大

 安易な自己憐憫に飲み込まれたまま、他者として死にたくない。

自分として生きたい。

 

 書くことは感情の供養になる、とあるライターさんが書いていた。たしかにそういう部分もあるかも知れない。私の場合は主に未熟な感情を見つける為に書いているんじゃないだろうか、ふとそう思った。泣いてもパニックになっても良かった時に全然そうしなかったから。できなかったから。その感情を解放してあげる。

それは再び 泣いたりパニックったりするのではなくあぁ、そうだったんだ、怒りたかったんだ、悲しかったんだ、とただ認めてしみじみする。

今までは無意識に態度で相手の出方をみたり、コントロールしようとしてきた気がする。本音を言って拒否されてこれ以上傷つくのが怖いという部分もあった。でも本当のきもちを言えたなら返事がNOでも納得できて前に進めるということを最近知った。

  「言葉ではとても言えない」ということを言う為にみな言葉を尽くしているんだ、きっと。

そうしてことばと向き合っていれば

いつか

きっとことばをすてることができる。

聞こえますか、待田さん。

わたしはこれから毎日こんな感じであなたに話しかけます。

話は主に、この世界の痛みと、同じ数だけの喜びについてです。

 

本当は意志の力なんか関係ないかもしれない。

でも、

向き合わない浄化を教えてくれた人、向き合う浄化を教えてくれた人、父と真逆の夫、あたらしいきょうだい、ここまできたんだからちょっとやそっとじゃ壊れないよ、でも、嫌になったらいつでも逃げていい、と言ってくれたともだち。

生きてきて、みんなに会えた。

それが一番大切なことだ、愛おしいことだ。

私はこれから同じ数の喜びのほうによせてゆく。

今までたくさん泣いてきた、でもそれは母や弟の為だった。

今、はじめて自分の為に泣けた気がする。自己憐憫の涙ではない、排出する予定だった水分。

それは私を軽くする。

自分との和解に必要な最初のステップ。

解いてゆく。