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終戦の日に。

高校生の時、「海と毒薬」という映画を観て、それが太平洋戦争中に旧日本軍が米兵捕虜を生体解剖実験に使った実話に基づいた映画と知りなんとも言えない恐怖を感じた。

原作者の遠藤周作は「神なき日本人の罪意識」をテーマに書いたとある。

それはキリスト教布教への弾圧を描いた「沈黙–サイレンス」でも感じた。酷い拷問に耐えかね、ついに踏み絵を踏んだ宣教師であるロドリゴイッセー尾形(演技素晴らしい)演じる井上筑後守は言う。

「この国に切支丹の教えは向かぬ。切支丹の教えは決して根を降ろさぬ、

この日本と申す泥沼に敗れたのだ。日本とはこういう国だ。どうにもならぬ。」

泥沼、とは集団心理と同調圧力に負けてしまう国民性と理解した。キリスト教のように確たる行動を規律するものがない、言葉がない。なんとなく、皆の空気を読んで全てが進んでゆく。実は元々は井上自身が熱心なクリスチャンであったという事実がこの言葉をより深くしているのではないか。

言葉がない、というのは神道もそうで、その教えは言語化出来ない。

古事記という不可思議な物語と大祓詞、そして祝詞があるだけだ。神道には確かに言葉以前の神がいる。そこに美しさや広がりを見る人がたくさんいるのもわかる、現に私もそうだ。多くの日本人がその性質を無意識に持っているのだと思う。が、それが悪い方向に利用されたり、進んでいってしまったら?(まあ今は本当の神道信者というのは神社関係者含め皆無に等しく仏教と資本主義という巨大な宗教になんとなく飲み込まれているのが現状だろう。それはまた別の話だし仏教については猥雑すぎて未だ理解し難いというのが本当のところ。)

731部隊の真実」を観てすぐに「海と毒薬」を思い出したがそれより酷かった。あらゆる面において。

NHKスペシャル731部隊の真実〜エリート医学者と人体実験」

https://youtu.be/Qfy5TMbueSM ※8/17午前1:00より再放送

 

少年兵として遺体の処理に関わった、元部隊員三角武さんの言葉が重い。やらなければ非国民という”雰囲気”があったと仰っている。我々の"空気"は論理よりも強い。三角さんは14歳の時に部隊に入り、事実を知ってほしいと言うことで今回初めて取材に応じられた。

戦後72年経ったからこそ語ることができる、語られなければならない事実や告白。その重み。歴史が改めて問われている。満蒙開拓団の方の話もそうだ。

人間が人間であると言うことは一体どのようなことなのだろう、映像にも人としての一線を超えた医師たちとある。この映像を観て考えた。人間を人間たらしてめているものは…。兵士として満洲とロシアに行った祖父の事が思い返される。教師だった祖父は物知りで穏やかで生徒達に慕われていて日常で声を荒げた事など一度も無かった。美しい本や古い本が几帳面に並べられた祖父の書斎は乾いた日向の匂いがして私はそこにいるのが好きだった。

その祖父が酒を飲むと激しく酔い戦時中の出来事を話し出す。そして最後には、泣き出す。いつもは言葉少なく優しい祖父が怒ったり激しく泣くなんてまるで二重人格者のようで幼い私には恐怖だった。中学生ともなると、また戦争?もう終わったのだからその話はいい加減にして欲しいと思った愚かな自分がいた。

祖父の満州での印象的な話を覚えている。満州で旧日本軍がした恐ろしい出来事、祖父は1回しか話さなかったが強烈な印象を伴って覚えている。祖父は晩年アル中になるほど飲んだが酒が旨いと思ったことは一度もないと言った。酔いたくて飲んでいると言った。そしてシラフでは決して話せない戦争の話をした。無意識に記憶を閉じ込めて切り替えないと人格が崩壊してしまうような出来事をあの時代の人は皆経験したのかもしれない。

 

我々日本人の特性を自覚し、絶対に繰り返してはならないのだと思う。

どうしたらそれを考えることできるのか、それはやはり知ることから始まる。

私達は、いや私は戦後を引きずるべきだ。

おじいちゃん、ごめんなさい。もっとお話聞いておけばよかった。

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近所の空き地に白い百合。雨に濡れて咲いていた。

終戦の日に、追悼。