あしあとをよむ

あしあとを消す

いてくれること。

10/27「今日のダーリン」がとても響いたのでちょっと引用。「運慶展」に行かれて糸井さんが感じられたこと。これ、忘れたくないな、と思って。

尊敬の敬、敬愛の敬、失敬の敬、敬して遠ざけるの敬。敬の意味は「うやまう」ということなのですが、もっとセリフのように言ってしまえば、「いてくれてよかった」ということかなぁ。小さなものであれ、とるにたらぬものであれ、卑しいものであれ、敵であれ、敬することはできます。これを彫ろうと運慶が決めて彫っているということは、すでにもう敬しているということなのだと思えました。

人や生きものだけでなく、森羅万象のすべてに対して、憎むにせよ、愛するにせよ、さらには別れるにせよ、競うにせよ、戦うにせよ、さらには殺すにせよ、おおもとのところに「敬う」があったら、それはなによりも理想的な世界なのではないか。「敬う」があるから、感謝があるし、希望がある。なにもかもすべての源とは、「敬する」ことではないか。じぶんなりに、なにかがみんなつながった気がしました。敬いのない争い、敬いのない交流、敬いのない感謝、いやだなと思うものには、敬がないのだと気づきました。

うーん…ほんとだなぁ、人のアラを探そうとする時って「敬」がないのですよね。逆に適当に褒める時も、真摯さがない。

私は結構ど真ん中ストレートの人間でたまに自分でも恥ずかしい位好き嫌いを言ってしまうんですけど、気になったものはとことん考え続けたい、というか心の中にその為のスペースを作る。それは私なりの敬意の現れだと思ってます。そして本当の意味で一度好きになったものはやっぱり嫌いにはなれないんだよなぁ…。だって一部分だけ見て間違ってる!とか嫌い!とか思ったってその人の存在はそのまんまなわけで。ただその部分は自分と合わなかっただけなんだよなぁ。そんなこと当たり前なのにね。まずは自分。自分がいろいろ試してやってみることだよね。未熟だなあ、自分。

「いてくれてよかった」「出会えてよかった」うん、すべてはすべてはそこからなんだよなぁ。

猟師の千松さんにお会いした時、本当に動物を敬って殺している感じがしたなぁ、そういえば。

そうよ、殺すって事さえも。

 

それではアホウドリに対する敬意を感じる曲を。↓今Netflix にて夢中の「マインドハンター」の挿入歌です。D.フィンチャーのセンス、本当に好き。「ゾディアック」も「ドラゴンタトゥーの女」も何回観たことか!

この曲をお風呂を暗くしてリピートするとお風呂からでてこれなくなってしまうという…笑


Fleetwood Mac - Albatross

20歳の時大失恋してカナダから国境を越えてアメリカまで友達とドライブした時を思い出しました。シアトル良かったなー。人種差別にあった直後落ち込んで、1人でバスに乗ったらちょうど乗客が私だけで黒人のおじいちゃんの運転手さんがまるで男の子のような格好の私に(だってオーバーオールにホワイトソックスのキャップ…)「おっ、素敵なladyが乗ってきたね、君はこのバスのQueenだよ」みたいな事を言っていい声で歌を歌ってくれたこと、大層いい思い出です。笑いながら泣いちゃった。

海の匂いがしてお洒落な古着屋さんが沢山あって、デリが美味しくて…きらきら太陽がまぶしかったな...。